今年の梅雨は辛い。まぁよく雨が降る。被害の少ない関西でもこの有様なのだから、被害の大きい九州の人たちの苦労は計り知れない。
挙句、安定しない天気で洗濯ができなかったり、まとわりつく空気が鉛のように重い。
最近は低気圧による体調の不調などをよく目にする。
休めない仕事、子育てなどしている方には本当に辛い時期だと思います。あと数日で梅雨明けたらうだるような暑さがやってくる。そして伝染病の脅威。もう生きていくのにストレスしかない。
まぁネガティブなことは置いといて、ポジティブに
人間には本来備わっている能力、特性として、恒常性=ホメオスタシスというものがあります。
これは、常に元ある状態に戻ろうという体の働きです。
朝起きられない人が急に早起きしても続かないのと一緒。もっと言えば、絵が描けない人が練習をする気になれず、いつまでも絵が描けない。英語を学ぼうとしても、実際日本語で生活するのに、わざわざトランジスタな能力を身につけようとすること自体を体が拒否し、学ばないのです。
ダイエットや筋トレもそうでしょう。
じゃあどうやったらいいのか。答えは簡単で大きく二つ。
- 毎日ちょっとずつやって(5分とかでいい)習慣をつける。
- それがないと生きられない状態にする(異常性を恒常性に持ってくる)
人は環境に依存する生き物です。体は正直で、楽になろう楽になろうとします。体温を36度程度にしたり、怪我をすると傷を治そう、体にある異質な物質を排除しようとする日常の中で当たり前のように起きてることもホメオスタシスです。
まずはここを攻略したい。
要は、徐々に体を騙しながら、それがないといけない状態を作り上げていくことが、習慣を身に着ける最もスタンダードな手法。もちろん、ショック療法的に一気に環境を変えてって手もあるけど、結局ストレスがMAXになり、徐々に体に慣れていくのを耐えるということになるので、最終的な結果は同じで、アプローチの違いになりますが、前者は自分の「ちょっと」を超えて無理する結果続かなくなったり、後者は過度なストレスで別の病気を発症したりする。
最近瞑想を始めた
バルコニーの椅子に座って、背もたれは使わず、ぴっと背筋を立てて3分間深呼吸する。
これが瞑想なのと思うかもしれませんが、その通り。全く瞑想めいた感覚にはなりません。
むしろ、感情に余計なノイズが入り込んで、急に岡村靖幸のカルアミルクが脳内で再生されたり、今日やらないといけないタスクのことを知らず知らずのことを考えていたり。全く瞑想になってません。単なる深呼吸です。
よく瞑想をすると免疫が向上したり、宇宙と繋がったりと、健康からスピリチュアルまで様々な効果効能を耳にしますが、それがそもそも間違い。それは結果であり、そうなるかどうかはわからない。
瞑想は一旦頭をスッキリ真っ白にするための訓練でしかないと思います。
ヨガとかマインドフルネスとか聞きますが、本来の意味からフィットネス的な言葉に転用され、言葉は一般化し、本来の意味からいつの間にかかけ離れたものになります。
俺はまだ3分間の深呼吸しかしていないけど、まずは2週間、チャレンジ。
3日目の今日は、雨音が非常に大きく聞こえるようになり、雨音にもいくつもの音が重なっており、雨が非常に立体的に感じる。ってところまではいきました。
あなたが机に座っている時、椅子を感じるでしょう。だけども、椅子の先の床、床の先の隣の部屋のドア、くらいまでは感覚的に認知しているかもしれません。
それは人間本来に備わっている感じる力であり、この能力がどんどん鈍くなってくるようです。
極端な話、床からドア、ドアから廊下、廊下から建物、地面、大地、陸、海、地球、宇宙。まで感じられるように感覚を研ぎ澄ます訓練が、瞑想です。(だそうです。笑)
さてさて1個目の本題に戻ろう
人間に備わっている、ホメオスタシスという能力と、瞑想(まぁ筋トレでもダイエットでもいい、自分の興味ある分野に置き換えてくれ)を掛け合わせていくことができれば、宇宙を感じることができる状態に恒常性が作用し、地球の森羅万象を感じさせることがその人のデフォルトの状態になる。と。
そこまで高尚なことを目指しているわけではなく、何を目指しているかというと、齢も40を超えて、様々な先入観、経験、知識が邪魔して、自分の思考に頼って生きようとする。それを打破するのが狙い。
これをクリエイティブに置き換えてみる。
今は、エンターテイメントの在り方を考えている。要はライブをネットで見たり、マスクをつけてアクリル板越しにすることは、感染防止の意味はあってもライブ本来の空気の振動、場の温度、匂い、存在、様々なものを遮蔽する。
予め断っておきたいが、これはコロナに関してどうのこうの言いたいのではなく、新しい様式ってものがこの感覚を遮断する方向にしか向いていない、つまり、今まであったものを継続させるための対策でしかなく、本質的な置き換え、または「新しい」発展には繋がりにくいということを言いたい。
正直、どんな好きなライブでも、お金払ってネットで見たいとは思わないことが俺は確信した。もちろん、それで満足する人もいるし、それを提供する側にも何ら否定的な気持ちはない。ただ、続かないと思うんだよね。金銭的にも、テンション的にも。
では、ここで改めて考えないといけないのは、例えばライブが構成している要素を因数分解してみるとどんなキーワードが出てくるだろう。
ライブにどれだけ近い(例えばVRで仮想空間)環境を作っても、何かが足らない。足らないものは本当の意味での新しい様式になるんだろうか。
今は、状況でいう、恒常性にもっと反する、今までの生活が変わらないといけない異常性の方に社会の針が全振された。
旅行にせよ、飲み会にせよ、ライブにせよ、今までの恒常性に基づいて行動すると、感染というエラーが起きる。けれども経済を回さないといけないし、病気で死ぬのも嫌だ。
そこで落ち着いて行動してみる。正直自分を取り巻く状況も大変厳しい。
だけども、もう一度 自分の感覚を研ぎ澄まして、宇宙は感じないにしても、本質的な感覚をキャッチできることに毎日少しずつでいいから訓練していこうと思う。
今日はまだ3日目。俺のホメオスタシスはバンバン脳内にノイズを入れてくる。もう少し続けてみながら、雨音が、風の音が、鳥の声が、感覚が研ぎ澄まされるように訓練すれば何が見えてくるのだろうか。
何度も言うがスピリチュアルな世界に行きたいから瞑想をしているのではない
人が人として一番大事なことは「気づき」だ。
感情や行動、怒りを制御する。「気づき」には邪魔なのだ。
この記事を読んでも瞑想しようなんて人は、0.1%もいないだろう。まぁしかし、毎日5分でいいから、できれば1日の始まりの朝に、体操でも散歩でもストレッチでも行って欲しい。ポイントはいかに頭をスッキリさせて1日を過ごすかだ。
人と話す、メールを返信する、電話する、会議する。ってのはその後でいい。
とまぁ、最近スマナサーラや仏教に多大なる影響を受けているので、結構スピリチュアルみがキツいですな。ははは。
まだっまだ修行は続きます。
もちろん、仕事もしっかりしますよ。結果が全てだ。すべては結果からの逆算で行動する。今は「気づき」のために捨てることだ。と思って、瞑想。これはめちゃ難しい。
でも、感覚が研ぎ澄まされて掴んだ実感は、必ず新しいアイデアや発明にたどり着くと思う。それを世界にばら撒くのが楽しみで仕方ない。
と言うことで、興味ある方はどうぞ。