──秋です
大好きな季節ですね。長袖で出歩くのが一番好きです
──例年、秋はあっという間に終わるイメージですが今年は長い感じがしますね
大歓迎やね。
──さて今回は、「ゼロイチ」に関してです。
今回はわりかしピンポイントね。
わかりました。ゼロイチという言葉が最近になってよく耳にするようになったイメージだけど、自分自身が永遠に取り組み続けたいテリトリー。
まだまだ満足いく実績も残せてないから、全てを語れる気はしないけど、新しい一歩を踏み出すということについてはワクワクしかない。
──ゼロイチということをどう定義しますか?
失敗することを恐れないこと。これに尽きると思う。失敗を恐れてリスクヘッジすることも大事だし、一歩間違えたら大ピンチにもなりかねないことだと思うけど、車輪の再発明になってしまうようなことだけは避けたい。イチを作った結果、既にあるものに行きあたってしまうんだけど、それで解決するなら、初めから問題にはならないからね。
今所属している、KASIKAというチームでも、主に企画や事業のビルドアップの一部を担当させてもらうことが多いんだけど、定義という点では、圧倒的想像力、仮説立証力、挑戦。これかな。
──元々なかったものをつくるというのは皆さんが持っているイメージですが、具体的には本当のゼロという状態からスタートするんですか?
ゼロイチって、物事の大きさは関係なく、小さいことの積み重ねだと思うんだけど、例えばすでにある全く違うもの同士をくっつけることで生まれるものもゼロイチだと思うし、予算、時間など色んな制約前提があるなか、顕在化している問題が今あるものでなぜ解決できないのかということを突き止めて実証フェーズに持っていくことだと思う。
さっきもあった、仮説を立てるという点だけど、例えば企業内でのコミュニケーションが行き届いていない状況があるとして、そこにどういう解決手法を取り入れるべきだろうかと考えたときに、俺の場合は、実現不可能だったとしても、それが解決した先のストーリーを作ることで、小さなプロトタイプのイメージを作っていく。この場合のプロトタイプは、一つの言葉だったり、写真だったり、解決したいことをイメージできる素材を集めて、コミュニケーションを図るための装置を作るのではなく、そのコミュニケーションを図ったことで「どうなるのか」を徹底的に解析する。例えば、その結果、社員の私生活がより充実しました。とか、昇進しましたとか。
──多分、読んでいる人を全員置いてきぼりにしています。笑
だよね。
ドラえもんの道具がわかりやすいけど、「あんなものいいな、できたらいいな」ということを叶える道具って、めちゃくちゃわかりやすいでしょ?「空を自由に飛びたいな」という願望があって、竹とんぼを頭につけたタケコプターだって、あれは漫画だからいいけど、そこに科学や技術などの見地が入ってくると、空想科学読本みたいに粗探しになっちゃう。
あれだと体が回っちゃうとか、揚力で体が木っ端微塵になるとか。
そうじゃなくて、空を飛んだことで、何がしたいのか、どうなりたいのか、から逆算してあるべき姿を捉えないと、「空を飛ぶ道具」を作るミッションになってしまう。
この場合、「空を飛ぶことで果たしたい願望」が重要なんだと思ってる。
もし空を飛ぶことで自由になりたいのであれば、その人にとって空を飛びたい願望っていうのは手段でしかなく、自由になりたいってのが目的=願望だよね。
そこがゼロイチなのかなって。
ないものを作るっていうのがゼロイチじゃなくって、イチになるためにないものをつくるっていうのがゼロイチかと。
──なるほど、いつの間にか手段の目的化になっている側面がありますね。
もちろん、必要なフェーズだと思うんだけど、「要するに」ってところがフォーカスされすぎて、なんのためにやってるんだっけ?っていうことが見えなくなるっていうのはよくあるよね。往々にして、まず現状をよく把握すること。その現状をどこまで深く洞察できるかってところかなと思う。そこはソリューションとイノベーションの違いかなと思うので、ゼロイチは完全にイノベーションフェーズなんです。クリエイティブはソリューション的な側面から語られることが多いけど、Appleの一般人の反応を見ていると、特にイノベーション的な部分に大いなる期待がある、そこにイノベーション的な印象のあるAppleと一般との齟齬がかなり大きく、優れたソリューションであることの成果も出にくくなってきている。
そもそもAppleは、古来よりソリューションを提供する会社であって、ジョブズが特別だったわけです。
──iPhoneは毎年新しいのを買うんですか?
今回は、iPhone13 Pro Maxにしました。
これはすごくいいスマートフォンです。12で気になっていたところが全部良くなってる。
──ソリューションとしては完璧ですね。笑
俺自身もジョブズは大好きな人だけど、未だにジョブズの本来評価されるべき点と一般のジョブズに抱いている幻想はかなりの差があると感じてます。
──どういうことですか?
表面的に神格化されているということですね。それはそれでいいんだけど、彼自身の本当にフォーカスされるべき点は、成果ももちろんだけど、その思考だったり、他を寄せ付けない独自の視点だったり、理想、信念、そういったものが「なぜ生まれたのか」という点でもあるべき。
Stay hungry, stay foolish. これは彼がスタンフォード大学の卒業式でのスピーチを締めた言葉だけど、Think Different(Appleが1997年に掲げたスローガン)の帰着点だと思う。
──イメージの乖離は私も感じます。
ゼロイチの次をイチジュウ(1から10)と呼んでるんだけど、イチを作った情報が連鎖的に波及して大きな波になってくると、その信念は希薄化される。それは仕方ないとはいえ、糸の切れたタコのように原点を失うとどこに飛んでいくか分からない。何を信じるべきかも失われてしまって、商業やメディアベースの考え方になってしまう。今のAppleは、俺の目には、その原点は失うことなく、希釈されていてたとしてもしっかり点がつながっている印象を受ける。
もっと大きなこと、イチジュウの次、ジュウヒャクを見据えたプロセスなんだと思ってます。
──どうなっていくんでしょうね?
それは分からないけど、おそらく国や宗教の概念を超えた何かになるんじゃないだろうか。その上で、噂されている、ARだったり車だったり、ニューラリンク(これはイーロンマスクだけど)ってのは、手段なんだろうと思う。
──ということは目的は何なんでしょう?
おそらく誰にも分からないというのが、本当のことなんだろうなと思う。ただ、先のジョブズの信念にもあるように、点と点は必ずつながっていく。その先の未来を推察していくことで未来は作られていくという、少し感覚的な話だと思うけど、奇跡だろうね。
──奇跡ですか?
非科学的な話だけど、奇跡は起こせると思うので、それを信じられるような洞察の積み重ねをしているのかどうかではないかな。Stay hungry ってのも、現状に満足しない。Stay foolishも馬鹿な市場の意見や型にハマった常識に惑わされないという意味だと思うし、ジョブズは、常にこれらを追い払うような思考をしていたんだろうな。
それをクリアできたのか分からないけど、やり遂げた。その思考って何なんだろうといつも考えます。少なくとも、このiPhoneにジョブズの思想が~とかは、本当にどうでもいい。笑
いい商品だと思います。
──ゼロイチの定義は失敗を恐れないこととありましたが、それはどういった思考で為されるものだと思いますか?
失敗からしか為されないんじゃないかな?
そもそも、失敗だと思ってその先、「なぜうまくいかなかったのだろう」と考えることで前に進まないといけないので、失敗はする。進んでしよう。でも、何も考えずに失敗するんじゃなくって、失敗そのものがトライ&エラーになるように失敗しないと、いちいちクヨクヨしていかなきゃなんない。大ピンチにもなるかもしれない。成功を積み重ねた自信より、失敗を乗り越えた自信の方が、人と何かをやる時でも遥かに信頼できるし心強い。
──ここでいう失敗とは、プロジェクトの失敗だけではなく、その過程にある小さな失敗も含んでますもんね。
そうね。例えば、いい企画が浮んだとして、それを企画書にまとめる。そこでうまく表現できずに企画書にまとめられなかったとして、それも小さな失敗だと思う。そこで、あぁ俺には企画書の才能がないんだ。と思うんじゃなくって、なぜ企画書にまとめられなかったんだろう。って考えて進んでいく必要がある。極論、企画書なんか自分で書かなくてもいいしね。人に話してその人に作ってもらってもいい。
──そういう失敗はよくあります。
今の仕事の多くは、非常に排他的で、そもそも働き方改革なんてのを標榜して国を挙げて取り掛からないと変わらないくらい凝り固まってしまっていて、本来仕事というのは補完的な成り立ちであるべきなんだと思う。ないものは補えばいい。それは外なら外の良さがあるし、中の人しか判断できないこともあるし、守秘義務とか色んな問題のリスクヘッジもあるんだろうけれど、あれ?仕事って何のためにやってるんだっけ?人生を豊かに、人の暮らしをもっとよくするためにやってるんだよね?って原点を忘れちゃいけないと思う。
──どうするべきなんでしょう?
はい?
──いや。笑 内省的なことでもあるんですが、そういった思考ってのは、何もゼロイチをする人以外にも言えることだなと思いました。そこで、さっきから何度も出てくる「失敗を恐れない」ということのために何ができるのかなと。
失敗することだと思います。笑
失敗は怖いモノであると思うし、失敗しないようにではなく、失敗を恐れないようには、まず失敗したらどうなるのかを学ぶべきかと。
──前にもこんな話になりましたね。その時はここでは言えないってことでしたが、詳細は置いておいて、そこから何を学んで、どう前に進んだんですか?
う~ん。「他人の畑を耕すな」ということかな。
──全然わかりません。
「他人の人生を生きるな」とも言い換えられるかもしれない。
結局は、自分がやるべきことをやらなきゃいけないということにたどり着いた。誰かのせいにして、誰かに期待して、基準を自分の外において物事をやってもうまくいかない。
自分を信じてって言うほどまだ信じられていないけど、自分を信じられるようにやるべきことをやる。それが他人のために少しでもなれば、それはボーナスのようなもので、ラッキーくらいに思う。
──なるほど。要は、自分のことをまずしっかりやれと言うことですね。
他人を変えるのは、自分にはまず無理だと学んだ。でも関わらないんじゃなくて、自分がしっかりやることで、それぞれの課題を自分の課題、他者の課題としっかり分けて行動することで、少なくとも自分のポテンシャルは発揮できる。その結果、点がつながるように変わっていけるように信じないといけないかなと。
道徳的、倫理的なことはもちろんルール以前に大切だと思うし、そういった失敗の償いはしっかりするとして、やるべきことをやる。
──そういうことって、社会の中で学んでいくことだけではないですもんね。
社会を前にした日本の学校のシステムに限界が来ているということは大いにあると思います
──またその話も聞かせください。
俺で良ければ。笑