──今日は「教育」についてです
前振りなしですね。笑
──前回のゼロイチについての最後に、日本の教育システムの限界とありましたが、そういったところをお伺いできれば
そんなこと言ったっけ?
──言いましたよ
何と偉そうな。
そもそもそれを語れるような学歴も何もないんだけど、言ってしまいましたね。
言いたいのは、学校と呼ばれる制度が何を担っているかというところだと思うんだけど、社会に出るための準備期間というか、義務教育といわれている期間は特にその要素が大きいと思う。
今は、1クラス、30人程度が一つの教室で、限られた人数の中でクラス替えや席替えをしながら授業を受けている。
これは何を前提としているんだろう。
──さっき、社会に出るための準備期間ってったんじゃなかったでしたっけ?
そうそう。でもさ、社会ってなんだろう。大きくは急に社会という説明書もないような世界に放り出されて自分で判断できるようにってことなんだろうけど、大人になって困らないように、その困らないという定義が、「幸せになるため」という幸福の追及ではなく、言語的な、フィジカル的な準備が終わった段階に持っていく、最低限に満たない環境で分断されているようなことが見受けられる。
──幸福の追求?
人は人として産まれてきた以上、幸福になる権利を持っているんだと思うんだよ。それは何もしなくてラッキー、ハッピーな幸福じゃなくて、この世に生を受けて人間らしく生きていくために努力も必要だし、そのインフラを保ち続けるために納税もしなくちゃいけない。そのインフラを作るシステムである行政の代表の人間を選挙で選んで任せるわけだ。
人は一人で生きているわけではないので、支え合っていかなきゃいけないから、社会性や協調性も非常に重要で、常に周りに気を配っているわけだよね。
──そうですね
だけど、さっきも言った通り、全ての人がそうではないにせよ、日本語が話せるという言語的な能力と労働ができるというフィジカル的な発育を得て、ここを最低限として社会に放たれて、それまでの環境とは分断される。
──先程もありましたが、分断とはどういうことですか?
人によっては学校や家庭だったりするだろうけど、成人して一人前になったら勝手にやっていきなさいということだよね。自立したんだから自分のことは自分でしなさいと。
──一般常識としてはそうですよね
それ自体は、別に構わないと思うんだよ。でもそれまでほぼ同世代の人たちと価値観を共有してきた中で、一気に全年齢に対応しなくちゃいけないと思うんだけど、それってかなりハードモードだよね。
ましてや、人工的にはかなりのマジョリティで、社会も成熟した結果、貧富の差やノウハウの知識の差なんかも歴然としてて。
──人によると思いますが、それでも立派な若者もたくさんいますよね
その通り。それはいつの時代もそう。
俺が言いたいのは、教育というシステムが限界を迎えてきたってことなんだけど、時代の変遷とともに、学校の役割も変わっていくと思うんだよ。
もちろん、目的は一緒だよ。社会に出る準備を「正しく」していくことだと思うんだ。
──役割とは?
ここでは、一般的な社会に出る例で、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と進学するとして、大きくは、小学校、中学校、高校ってなんかステップのようになってるよね。
平たくいうと、大学のための準備期間といってもいいかもしれない。
──そうですね。
この12年間。ここはかえなきゃいけないんじゃないかな?と思う。
──どう変えなきゃいけないんですか?
ここまでするのは、「勉強」だと思うんだよ。「勉強」ってさ、まず何も知らないことに対して、知って学んで知識をつけていくってことだよね。
──まさしく
これは俺の体験ね、他の人がどう感じているのか分からないけど、国語の授業で「作者の意図」を答えさせるテストがあったとするよね。これ答えがあるんだよ。
こんなの空気を読む訓練しているだけだよ。
数学は公式を覚えて、理科も同じようなこと。歴史なんか、もう本当にそうなのかすら分からない。
──どうしたんですか?急に。笑
で、それが大学受験で急に将来に直結した場所を選択しなきゃいけなくなる。
ひどい場合なんかは、高校の3年間は大学受験に充てられる。
発想を閉じ込める作業。本当にそうなんだろうか、とか、やりたいことを探求することに時間を割くべきだと思うんだ。
──まぁ、でもそれはあなたの感想ですよね
うん。もちろんそうだよ。
──じゃあどうやってやりたいことの探求に時間を割くのですか?
失敗させる。とにかく失敗させる。失敗することを前提に環境を作っていく。
そこから何を学んだのか、しっかりと向き合わせる。
──それは理解できますが、それがどうなるんですか?
物事に対する解像度が絶対変わるんだよ。特に近年は、荒い解像度で大体の世の中が分かっちゃう。社会に対しても、大人に対しても、SNSや音楽を通して伝わっていく。
それ自体は別にいい。要は判断力がついてこない。こんなもんなんだろうなというまま、本番を迎えてしまう。失敗したことないやつの危うさったらないよ。
──かなり乱暴ではありますが、一理はあると思います
別に将来YouTuberになりたかってもいい。パン屋さんでもファッションデザイナーでもいい。
でも学校の先生はそのことに真剣に向き合う時間やリソースがあるかな。
さっき言った、失敗ってことでも、やらせることより失敗してから立ち上がらせることの方が難しい。
──そうですね。1クラスで30人としても、かなり大変そうですね
めちゃくちゃなことを言ってるのは分かってるんだけど、30人のクラスに対して、30人の先生がいれば可能じゃないかな?
──確かにめちゃくちゃですね。でも、学校の先生不足というのも問題としてあります
それは、先生じゃなくてもいいんじゃないかな?定年した人の再就職先でも。
──保護者が黙ってなさそうです
いや、本来は保護者がメンターであるべきなんだろうし、それも絶対必要だけど、大人の社会も昔とは違うわけで、俺が子ども頃みたいに、いつも親が家にいて公園とかの遊び場も多くて、スマホもなかったから。つまり30年以上経っても、社会の変容に対して、基本的なシステムが変わってないんだよ。
──子育てしてないからそんなこと言えるんじゃないですか?
それを言われたら何も言えないよ。自分のことを棚に上げてでも、これからの子どもたちにいい環境を作ってく必要が絶対ある。
教育っていうのは、人間の潜在能力を引き出す場に変わらなきゃいけないと思う。別に全ての子ども達がベンチャー企業を立ち上げなきゃいけないんじゃない。人間は習慣の生き物だから、この12年間は今までは良かった、いや良かったともまるで思わないけど。
──大学に関してはどうなんですか?
大学って、行く人は全てじゃないけど、本当にやりたいことに対して、深堀、つまり12年間の勉強に対して、研究する場所だと思う。別に一つのことじゃなくて多岐に渡ってもいいし素晴らしいことだけど、テーマは一つであるべきだよね。
人を感動させたいとか、誰かの役に立ちたいとか。そういうテーマを経済学だったり宗教学だったり、芸術学、心理学のどれかに特化してもいいし、横断する形で研究する場所。
──確かに、いい就職先に就くための4年間と言えなくもないですね
合わせてくれてありがとう。でさ、最悪なのは「社会に出てからが本当の勉強だ」とか大人は言っちゃうんだよね。そらそうだけど、それはあまりに無責任だと思う。
俺は大学で優秀な人がいきなり会社の部長になるくらいの環境があるべきだと思う。
うまくいかないことも多いだろうけど、そこから失敗してできるようになればいい。失敗はいっぱい経験して、そこから学んでいるのであれば立ち直れる。そこにフォーカスすべきなんだと思うよ。
──理想的ではありますよね
うん。だからジャブジャブ税金使って、教育システムを変えてほしい。それなら税金上がってもいい。だって税金もそういったことに使われるべきで、回り回って自分のメリットになることが本来の使われ方だと思う。今、子どもたちが将来税金のために働かなきゃいけないってこと、解像度低く知っちゃってると思うよ。
──つまり、教育システムそのものではなく、社会のあり方から逆算して形成するべきということをおっしゃりたいんですね
はい。
──自分の人生を改善するというイシューは、コンフォートゾーンから出られないと脱却できないと
しかも完全要塞だからね。子どもたちはYouTubeが広告で運営されていることを知ってるし、この動画を見るためには、たった3秒でも広告を見なきゃいけない。広告はこの3秒に全てをかけてくる。めちゃくちゃ変な世の中だよね。完全なる思考停止量産システム。
抽象的なことを言ってしまうけど、俺は自由を勝ち取るのが人生だと思う。俺も例に漏れずこのコンフォートゾーンから脱却するのはかなり時間がかかったし、こないだ言ったのは、周りを正しく頼ることのできる、「自立」の話だったけど、これは自分の人生を生きるための「自律」のための生き方だと思う。子どもにそれを教えるのは難しいよ。だから社会を変えなきゃいけないと大人である俺は思うし、細かいことなんか棚に上げてなきゃやってらんない。
奴隷制度ってまだあるところにはあるんだよ、昔とは違う形で。
──優秀な若者は相当レアに感じますね
そう、気づくのが早かったんだよ。でもそれは限られた環境で、でも気づきのスイッチを持っている人は困難のたびに色々なことに気づいていく。
文明は人の気づいている範囲でしか繁栄しない。それは人の人生でも然りだと思うよ。
──2021年は、子どもの自殺率が過去最高だったようです
これは、単に自殺を止めさせることは、その場しのぎってことだよね。本当に死ななくていい世界を作らないといけない。生きづらい社会ってのは、少なくとも子どもたちが作ったわけではないのだから。
コロナの状況を子どもたちはどういうふうに見てるんだろうと思う。大人は感染拡大させちゃうし、飲食店はこういう時辛いのかぁとか、ワクチンさえあれば世の中は正常になるんだ。とか、ほら解像度低い状況がいっぱい。明確な答えがあるように感じる。
一気に社会を変えるのが難しいのは分かる。でも、今の世の中の変容も、急に怒ったわけではない。でも、コロナで変容スピード感はかなり上がったように感じるから、同じように全てを変えなくとも、スピード感は上げて取り組む必要があると思う。
──そう考えると、小中高のシステムが長く大きく変わらないことも不思議に思えますね
日本は豊かな国だったから、国民全体がコンフォートゾーンで、ついに脱却しないといけなくなったんだと思うよ。これから貧しくなっていくという解像度の低い状態も子どもたちは何となく理解していると思うとじっとしてられないよね。
──本当にそうですね
何かできないかなとはいつも考えてる。専門家ではないけど、専門家に頼るのも違うのかなと思うし。当たり前のことを当たり前のように言えるようになっていけばいいよね。
──どうやったら変わっていくでしょうか?
まずは空気を読まないことだね。笑