仏教は科学!生きるための術を怒りに任せて前進できないあなた!イライラしない!人生を台無しにしない!その方法は仏教にあります!

夜に書くブログはテンション高め、伊丹谷です。

今日は1日中打ち合わせで、帰りに実家に立ち寄り家に帰ってバルコニー(俺の瞑想の場)をライトアップしていたら、向かいのマンションの住人に笑われた(と思っている)もはや、俺のスピリチュアルのナイアガラは止まるところを知らず。そろそろブレーキ掛けねばと思っておるところです。

が、実際のところ先日の瞑想の結果、雨音が7.1chのドルビーばりに立体的に聞こえるという体験をした結果、若干達成感でサボっています。ので今やってみたら全然入れなかった!!!!

継続は力、己の細胞レベルのディシプリンに励みます!

本題

さてさて、皆さんは煩悩を払えてますか?

人間には108の煩悩があり、その一つ一つが自分自身を苦しめるのは、ブッダも親鸞もいってったからもう知ってるよね!

環境をいくら変えても自分のうちなる煩悩を貼らぬ限り、決して幸せになる事はありません。

四苦八苦という言葉が、4×9と8×9足して108になることから生まれた言葉ってのもありますよね!(諸説アリ)

そんな厄介な煩悩!これは一生なくなる事はなく、抱え続けて生きなければなりません。まさにウィズコロナならぬウィズ煩悩は、この世に生を受けた以上、逃れられないカルマ!

その中でも三毒の煩悩、貪・瞋・痴(とんじんち)をご紹介!

払いきれない三つの煩悩、貪瞋痴

仏教には、克服すべき三つの煩悩として、貪・瞋・痴という言葉があります。この三つの煩悩は、互いに深く関係あっており、このことを意外と自覚する事は難しい。

貪(とん)とは、簡単に言えば欲深いこと。「欲しい」という感情は、他人のものを羨んだり、妬んだりすることから、怒りであり瞋(じん)につながります。

痴(ち)とは、「無知」ということですが、勉強ができないとか、知識がないということではなく、「自分の知識がかぎらたものである」ということを知らないということになります。

自分が無知であることを知らない、自覚がないという状態であれば、どうしても傲慢になってしまい、無知故に人を見下してしまったり、比較し、貶めたりします。これも怒りにつながりますね。

怒りを払うということ

アンガーマネージメントなんて言葉が流行りましたが、単に怒りを我慢する事は克服になりません。

なぜ人は、どうでもいいはずの芸能ニュースに妬んだり、怒ったり、関係ないのに見下したりするのでしょうか。

かくいう俺も、実際克服なんかとは程遠い、怒りに身を任せて数々の失敗をやってきました。むしろ失敗することに思い当たる節がありすぎて、ここまでの文章を全消去したい気持ちです。

怒りを堪える、我慢する、のではなく、「払う」と表現するってことが肝なんですが、怒りはどうしようもない。湧いてきます。どんな聖人であれ、芸能ニュースやSNSにこそ怒りは覚えずとも、生活の中で怒りから完全に逃れる事はできないでしょう。

大事なのは、怒っている状態で、なるべく早くその状態を自覚し、自分が怒っていることを認める事です。何なら口に出してもいい「アテクシ、今怒ってます」と(人には聞こえないようにね!)

一生懸命やっていることや、自分の核になる人格の否定など、怒りを持つ事は何らおかしいことではありません。もちろん怒りを持つ事は守ることでもあるし、限界突破ラインはもっておかないと舐められ続ける人生を送らねばなりません。譲れない事、守る事。それを怒りで台無しにしないことが大切だと肝に銘じましょう。(自戒)

それでいても、怒りは克服すべき感情であると仏教では説かれています。達成は難しい。ただその先に本当に幸せに生きる生き方があるというのが根本的な考えです。が、これだと印象的にはスピリチュアルな精神論になってしまいますよね。

少し科学的に考えてみましょう

科学は実証主義です。実証主義は、迷信、宗教、形而上学など経験によって証明できないものを排除し、 経験を唯一の基礎とする理論を構築します。

仏教のポイントは、ブッダが、自身の経験に基づく体験談としての教えなんですよね。

しかも、実はブッダって、文章を残したわけでもなく、1回だけ弟子に口頭でそれを教えただけなんだって。その弟子がせっせと広めたのが仏教です。

弟子たちは頑張って覚えて、「ブッダがこういってた!知らんけど!」と口頭で数百年伝え回ったらしいです。

知らんけど。

。。。。さて、

因が有って縁が生じ結果がでる因果応報と言う言葉、この世の全ての事に偶然は無く、全て必然であると言うことで、全ての物事は縁で繋がっていると言う思想です。

例えば、水を因と考えると氷ると言う縁を得てはじめて氷になりまた火と言う縁がなければお湯にはなれないのです。(よくあるブッダのわかりやすいお話)

ただし、針の穴に象を通すことより難しいこと。

欲の心、妬みの心、驕りの心は、人間がもともと持って生まれたもの。欲は足ることを忘れさせ、怒りは相手を敵に回し、妬みは卑下する自分をつくり、驕りは真実をつかませてくれない。だから、これらに征服されたら、諸行無常という理に気付くこともなく、不幸となる。

つまり、ちゃんと理由があんだから、オメーのその妬みって本当に自分の考えかよ?めぐりめぐって因果が妬みを生んだんじゃねーか?と早く気づくこと。

欲しいものも本当に欲しいのかよ?どーせ他人にマウント取りたいから欲しがってんじゃね?それって本当に欲しいの?

お前知ったような口聞くなよ。それテレビで全国民見てる前で言えんのかよ?

などと、早めに立ち止まって考えることが、本当に必要なものに気付ける、出会える=超ハッピーにつながるということですね。うんうん。科学的。

まとめ

怒らない事は無理です。怒りという感情を捨て去る事は単に鈍感になる事で、それでは大切な事は見えません。

なので、ちゃんと振り返って早めの対処が克服に近づくって事っすね!

言葉で感じる意味は、年々意味が変わってきます。瞑想もマインドフルネスと言葉でいうと相違ないんですけど、ニュアンスが変わって本質的な言葉より一般的な感覚が強くなり、ファッション瞑想になりがち。

まぁまぁ偉そうなこといいながらも、今日も理を腹に据え、この誘惑だらけの世をうまく波乗りしていきたいものです。南無。

ちなみに、人は1日に数百回の怒りの感情が湧くそうですよ。ははは。