答えはシンプルだった
自分の職業について、考えたときに実にシンプルなことに気づいた
クリエイティブを生業に〜とか、デザイン!アート!とか、次第に息苦しくなり、全ては固定観念、先入観だと気づいた
もちろん概念的な理解のために職業は大事だと思う
デザイナーです!クリエイターです!というのはわかりやすい反面、抽象的でもあり結局何やってるのかは、聞き手のクリエイター像に委ねられることが多い
何屋なんですか?って言われるとなんでも屋ですと答えることは、同時に自分に下手の横好きなのかと問い掛けることにもなる
今は一つのことしかできないと、よっぽどの環境下ではないと能力は発揮しにくい。この環境というのが厄介で自分で作ることができることとそうでないことがある
野球選手を例にとってもそうで、野球というのスポーツがあり、そのスポーツが経済的にも成立していて、ファンやスポンサーなどの環境が許すから、ただただボールを投げることに、バットを振ることに専念できる。
しかしながら、もしこの世に野球というものがなく、めっちゃボールを早く投げる能力がある人は、野球選手にはなれない
そもそも野球選手を目指そうもいう気にもならないので結果、電車の運転士になってるかもしれない
ただここで思うのは、この人が運転士として成功するか否かはでいうと、それは環境だけの問題ではない
それは単純にこの人が努力するかどうかである。
なので、俺は職業=その人の努力できる分野、夢中になれる分野と定義したい。
こうすることで、手段の目的化や概念に縛られること、他人や自分の先入観によって大切な自分の人生を台無しにする事から逃れられる。
で、お前は何がやりたいんだ
自分の場合は、テレビ局で働き、化粧品をデザインし、アパレルのカタログ、ミュージシャンのビジュアル、企業のブランディング、サービスの開発、ウェブデザイン、イベントの企画製作、最近は配信屋とか思われている。
はじめのテレビ局は、正直言って、ここで働きたくないとハッキリ思ったとこだったので、経験としては貴重だったが、夢中になれる仕事ではなかった
ということで、その後の仕事内容からわかるように自信を持ってブレてない点でいうと、「抽象的なことを具現化する」ことなんだなと。
どうも、抽象的なことを具現化する伊丹谷です。ということになる。
その手段として、デザインがあり、映像制作があり、云々というわけだ。
人が何となく考えていることを、こうですよね?と見えるように、聴こえるように、触れるように、食べられるようにすることである。
次に時代という要素を分解
やりたいことをやるということが非常に抽象的なので、次は時代をよく分析し、ある程度ターゲットすることが重要になる
抽象的なことという大前提があるので、もうすでに流行っていること、イノベーター理論でいうとこの、アーリーマジョリティ、ラガード層のことには無縁なのである
てことは、自分のやっていることがどこに影響するかということで、いわゆる大衆ではないということになり、大衆に広げるには自分の力だけでは無理があるという事でもある
じゃあ職業はイノベーターなのかということになるが、そこはそこで息苦しいのと、名刺にイノベーターって書いてるやつ「大丈夫か!?」と思ってしまうので、仮にそうでも名乗らないほうがいいと思う。笑
ただこのマーケティング理論、イノベーター理論てのは、特にここ数年のテクノロジー業界では日本は後手後手といわれており、ズレでいったら、このグラフ一個分くらいズレてる。つまり海外で流行っているやつを今やるくらいでじゅうぶんイノベーターなのだ。
しかしチャンスはある
むしろチャンスだらけなのだよね。
見たことがないものは見たことがないので判断できないし、理解もできない。聴いたことのないもの、食べたことないものも同様。
これに完璧にハマってくるのがコロナなんですよ。
半年くらいたったので、日本の生活様式が如何にパンデミックに対し、予防策が有効かは、それが全てでないにしろ、効果的であることが図らずとも実証されたと仮設すれば、実に我々はとんでもないアドバンテージを持っているともいえる。
マスクをする。家で靴を脱ぐ。キレイ好き。ボディたっちあまりない。セックスレス。
日本人の思考そのものも例外ではないでしょう。
全て仮設の域を出ないけどね。
さぁさぁ、ではこれからの社会をどうしようか。日本から新しいことが始まるチャンスではないか。
日本のカルチャー
独特のカルチャーを持つ日本
良いものも悪いものもあるけど、その成り立ちや歴史にはヒントがたくさんある
侘び寂びや、禅の考え方が、世界のイノベーターに多くの影響を与えたように、次こそは自国の人が自国の文化をしっかり腰を据えて向き合う必要があると思う。
先入観や固定概念をどれだけ捨てられるか。
俺は地域活性化と最先端テクノロジーは、表裏一体だと考える。
多くの人を幸せにしたいから、多くの目の前の他人の評価に囚われず粛々と仕掛けていきます。
と、思っている次第です。