先週後半からの爆弾低気圧にすっかりやられた感のある伊丹谷です。

肉体的に精神的に疲弊したときの低気圧は爆発的な頭痛を引き起こすので注意です。や、注意しても仕方ないんですが、早く梅雨が明けたらいいのになと。

先週から、意識のフェーズを変えて、制作者としての良質なるインプットに勤しんでいるわけですが、これがなかなか目先のものや、例えば目的や手段に囚われつつ、自分が本当に何を表現したいかブレる。

結局のところ、やりたいことというのは、その先に第三者(ファンや一般層)を喜ばせること、生活を豊かにすること、文化的に発展することにつながることに最大の情熱を注ぐべきものである。

そこで、辿り着いた「マクガフィン」というプロット・デバイス。デバイスとは言っても、ガジェットとかのデバイスではなく、手法としての本質。

そもそもマクガフィンとは

マクガフィン (MacGuffin, McGuffin) とは、小説や映画などのフィクション作品におけるプロット・デバイス(英語版)の一つであり、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる。特にスリラー映画で多用され、泥棒が狙う宝石やスパイが狙う重要書類などがマクガフィンの典型例である。しかし物に限定されず、出来事や人物などもマクガフィンに含まれる。

なぜそれらを登場人物は追い求めるのか、作品内ではほとんど、あるいは全く説明がなされないことが多い。マクガフィンはあくまで登場人物の動機付けに用いられるため、内容そのものは重要ではないことから、他のものに置き換えてもストーリーが成立する。またマクガフィンは通常、物語の序盤で言及され、物語のクライマックスで再登場するものの、その重要性が徐々に低下して最後にはその存在が忘れられることも多い。

Wikipediaより引用

かの名映画監督ヒッチコックによると、マクガフィンの語源は二人の男が汽車で交わした小噺に由来し、

avatar
A
棚の上の荷物は何だい?
avatar
B
あれはマクガフィンさ
avatar
A
マクガフィンとは何だい?
avatar
B
あぁスコットランドのハイランド地方で使われる、ライオンを捕まえる罠さ
avatar
A
でもハイランド地方にライオンなんていないぞ
avatar
B
じゃあ、あの荷物はマクガフィンではないな

はい、わかりにくいですよね。そうなんです。マクガフィンとは、一般的な話において実にわかりにくい。しかし、実は日常の中に多くあることで、映画やエンタメの制作者がモノを作る手法において、非常に大事なことなんです。

実例からいうと、スパイ映画でいうところの、「重要書類」や「マイクロチップ」。ドラゴンボールでいうところの「ドラゴンボール」桃太郎でいうところの「鬼、または鬼ヶ島」なんですよ。

あれ?と思う方も多いかと思ういますが、それぞれって、物語の主要なアイテムとして必要不可欠なんじゃないの?と思うかもしれませんが、制作者からすると、マグがフィンとは「単なる入れ物」にしかすぎず、「他のものになっても物語が成立する」ものです。

確かに、スパイ映画なので、「重要書類」を奪い合う話が、「マイクロチップ」になっても話は成立するものですよね。スパイ映画では「なんかわからんけど凄そうなやつ」というのがマクガフィン。

それがなければ物語が進まないが、進めばなんでもいいものなんです。

映画で一番大事なことは「ストーリー」であり、設定ではありません。

過去のヒッチコックのお話でこんなものもあります。

ヒッチコックは『汚名』(Notorious、1946年)を企画していたとき、ストーリー展開の鍵となる「ウラニウムの入ったワインの瓶」に難色を示したプロデューサーに対して、「ウラニウムがいやなら、ダイヤモンドにしましょう」と提案している。ヒッチコックにとって重要なのは、ウラニウムという原子爆弾の材料ではなくてそれをきっかけにして展開されるサスペンスだったのである。物語にリアリティを与えようとシナリオライターやプロデューサーはそうした小道具についても掘り下げようとするのだが、ヒッチコックはそれは単なるマクガフィンだからそんな必要は無いという態度をとった。ヒッチコックによれば、マクガフィンに過ぎないものに観客が気を取られすぎるとそれに続くサスペンスに集中ができない。だから、マクガフィンについては軽く触れるだけで良いというのがヒッチコックの作劇術であった。

漫画のワンピースも、俺はあんまり詳しくないけど、海賊王の宝を獲りに行くことが観ている人を虜にしているわけではない。そのプロセスで生じる、人間関係や演者の思い、そこに感動しているのです。

スポンサーや、偉い人は、マクガフィンに気を取られる。

こうもヒッチコックは言ってます。

彼らは、制作者ではないので、ストーリーの内容に口を出してくるのではなく、目に見える「マクガフィン」に気を取られ、やれあれは嫌だこれが良いと口を題してくる。と。

1930年代の話です。

つまり、クリエーターにとっての根幹はストーリーであり、マクガフィンではないのです。

とまぁ、リミッツにおいても、よく取り沙汰されるのが、テーマの重要性。お題という人もいますね。

リミッツは、制作前にルーレットでテーマを決定し、そのテーマに則ってアートを制作します。

ここで俺がよく考えるのが、「どんなテーマが来たって書きたいストーリーに合わせていく」というアーティストの姿勢。ぶっちゃけ、このスタイルのアーティストが一番強い。

描きたいもの=テーマだと、いわゆるお題消化型になって、ストーリーが犠牲になる。

つまり、アーティストにとって、テーマは「マクガフィン」であることなんだと思います。

もちろんマクガフィンにこだわる必要もあります。

観る人が、これがマクガフィンだ。なんて考える必要がなく、純粋に楽しんでもらうことはすっごく大事で、そのマクガフィンがなんでも良いということはあり得ません。

重要なのは、創作者がマクガフィンをうまく使いながら、自分の表現したいものにどれだけ情熱を注げるかがキーになるってわけです。

物語を彩る重要な要素であるわけですが、マクガフィンなんで、プルトニウムがダイヤでも良いんですが、やっぱり「アフリカの涙」みたいな、なんなんだそれは!?と興味を引くものであったりした方がいいというわけです。

映画でも突出した作品というのは、特にこの点が重要だと思います。

もちろん商業作品なので、公開前にプロモーションを打つ必要があるし、配役も重要。監督はいろんな条件を加味し、何が本質なのか見抜く必要があると思います。

誰も口出さず、好き勝手創作者が作ればいいというものでもなく、それぞれの関係性を重要に思うのが大事ですよね。

かくいう私の大好きな映画はデヴィッド・フィンチャーの「ファイトクラブ」です。これだけは揺るぎません。

名作

いろんなイベントを立ち上げる際に、ディレクターに考えてもらいたいこと

偉そうなことを言いますが、昨今のイベントなどを観ていると、監督(仕切ってる人)がマクガフィンや、最悪もっと他の環境に気をとらわれてイベントが続かない、行き止まりに行き当たるということをよく見受けます。

リミッツも、一時そうなりそうではあった。今はこれからのリミッツを作っていく上で、自分の立場上そこを見失わず、本当に面白いモノを作っていきたいと思う。

この「マクガフィン」を理解できたら、いろんなものに気付きますよ。

世の中で大事にされているものって、結構マクガフィンだったりします。

相手に愛されたいだけの人は、相手が誰だって良かったりする。愛される過程だけに囚われて同じことを繰り返す。とかね。

では、最後に俺の大好きな、岡村靖幸とライムスターで、マクガフィン。お聴きください!

歌詞に注目!